1999年10月10日



今日は体育の日。各地で運動会や市民体育祭が開催されています。東京オリンピックを記念して制定されたこの日は国民の健康増進を願ってのスポーツの日だそうで、本日の友達の輪に登場いただきます永沼勇さんは幸手山岳会で会長をされており、市民の山での遭難防止を祈って日々活躍されている方です。

幸手山岳会
会長 永沼 勇さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】金子自動車の金子さんから山岳会での先輩と伺ってまいりました。山登りはずいぶん長いようですが?

【永沼 (敬称略)】そうですね。私が学生の頃は山岳ブームで、私も群馬大学で山岳部に籍を置いておりました。群馬大学の山岳部は後ろに谷川岳を控えており遭難事故が発生すると、地元でもあり真っ先に救助隊として駆り出される山岳部でした。当時から谷川岳は人気も高く、ブームの影響もあり遭難事故も多かったですね。岩波映画が制作した「遭難」というドキュメンタリーにも救助のシーンでは群馬大学山岳部が撮影されたりもしましたね。

【高木】山岳部としては草分けですね。

鉄道車中のいざこざが
幸手山岳会との出会い

【永沼】毎年五月頃、新人訓練と称して谷川岳で合宿訓練をするのです。その帰り、水上駅で二両増結される電車を利用するのですが、どこの大学の体育会系クラブもそうですが、先輩後輩の序列があり、後輩が座席取りに駆り出されるのです。その取り方もピッケルを空いている座席に置いていってしまうというやり方で、他の山岳会と熾烈な座席の取り合いが生じるのです。ところが、やり方に腹を立てたのか、勝手に置かれたピッケルをある山岳会が片付けてしまったのです。片付けられてしまったピッケルが見つからなくなり、この山岳会といざこざが起きてしまいました。なんとかさやに収まりましたが、その山岳会は現在四十三年目の歴史を持つ幸手山岳会だったのです。

【高木】幸手山岳会との出会いですね。

幸手で先生に
山を愛して幸手山岳会に

【永沼】羽生に住んでおりましたが大学を卒業後、中学校の先生として幸手に赴任しました。仕事を持ったからといっても、山から離れることは出来ずに休みといえばほとんど山に登っていました。幸手では下宿をしてましたが、当時は宿直があって、先生方が交替で受け持つのです。家庭を持っている先生方などは嫌がっておりましたので、独身でしたから宿直は引き受けていました。学校には給食もありましたから私にとっては良い環境でした。(笑い)ですから、下宿にはほとんど戻らない生活でしたね。山好きな仲間が集まっては宿直室で山談義なんてこともしょっちゅうでしたね。赴任したばかりの頃、幸手山岳会の人たちが撮影した8mm映画を観せてくれる「映画の夕べ」が開催されるという話を聞き会場に行ったのです。そしたら、偶然にも水上の一件を記憶されていた方から、「群馬大学山岳部の方ですよね」と声を掛けられ、幸手山岳会に入ることになったのです。

【高木】いままで登った山で印象に残るところは?

ザイル一本の信頼
命懸けで登る

【永沼】苦労して登ったところはすべて印象深いですね。谷川岳奥壁や北アルプスなどたくさんあります。通常、登る時は三人で登るケースが多いのです。トップには何度か登ったベテランがたち、真ん中は初めてその山に登る人、最後にハーケンを抜いていくベテランといった一本のザイルでつながれた強い信頼関係のチームワークで登っていきます。特にトップの責任は重大で経験豊かな判断力も必要です。なにしろハーケンを打つ所ひとつでも命がかかっていますからね。垂直な壁面からオーバーハングした所にハーケンとザイルで宙吊りになって、自分の指だけで登っていくこともあります。山は天候の変化も著しいですから、時には岩場が滝のような夕立に襲われることもあります。だいたい、一日の登山計画は八時間を見ていますが、その時間が長ければ当然指がバカになってしまい自分自身をも支えられなくなってしまいます。一瞬一瞬の判断の積み重ねとその克服が登り切った時の感激なのかもしれませんね。

【高木】危険を感じたことは?

ローソクと酒で
暖をとる

【永沼】学生時代のことですが、遭難したと新聞に載ってしまったことがありました。実は仲間五人と山に行く計画を立てて、実際は就職活動中で私だけ山へ行けなかったのです。ところが仲間が遭難したことは事実でしたので、リストに私の名が残っており家族も遭難現場にまで来てしまいました。仲間の五人は雪洞を掘ってローソクと酒で暖をとり無事生還しましたが、知らぬは本人だけといった話でしたね。山ではローソクと酒は貴重なもので、万が一の場合、ローソク一本で雪洞は二、三度上がりますし、酒で体温を上昇させられます。以前は山岳会に入るには「酒が飲めるか?」と聞いたものでした。

【高木】良いことを伺いました。夢などは?

幸手山岳会五十周年
古き友との登山

【永沼】幸手山岳会として今まで低山ハイキングや富士登山、尾瀬、日光戦場河原などの市民ハイキングを後援してきました。また、山での遭難者を出さぬように装備の貸し出しや技術指導などもしてきました。現在まで、幸手から遭難者を出すこともなく、数年後には五十周年を迎えます。今までに日本全国の山を見てきましたが、自然の景色をゆったり見ることが山の楽しみだと感じます。年齢的にも、体力的にもがたがきてますからかえって無理はしなくなりましたが、古い友人たちと集い山に行きたいなと思っています。もちろん、今でも国内外問わず旅に出る時には山の準備は必ずしています。夫婦でスイスのユングフラウに行った時も、登ってきましたがとてもいいところでした。備えあれば憂いなしですね。

【高木】それではお友達をご紹介下さい。

【永沼】現在、不動岡高校学友会幸手支部副会長を務めているのですが、教員として八代中学校でも一緒で、学友会会長をされている小森谷幸治さんを紹介します。

【高木】ありがとうございます。これからも幸手山岳会会長としてご活躍下さい。

(奥様は群馬大学美術科卒業の一年後輩だそうで、ご自宅のお部屋の中の壁面は奥様が描かれた絵画が溢れていました。永沼さん自身も絵を描かれるそうで谷川岳などの山を素材とした作品が目をひきました。趣味を楽しむ別宅で取材させていただきましたが、家庭菜園や花卉栽培と自然を楽しむ姿が印象的なご夫婦でした。)

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